2014年06月14日

自分の道…。

古谷 綱武
1908−1984昭和時代の評論家。
明治41年5月5日ベルギー生まれ。古谷綱正の兄。吉沢久子の夫。谷川徹三にまなぶ。大岡昇平,中原中也らと「白痴(はくち)群」を創刊。昭和11年「横光利一」「川端康成」で文芸評論家としてデビュー。戦後は女性論や人生論,児童文学評論の分野でも活躍した。昭和59年2月12日死去。
 


道はいつもひらかれている
「 道は、すべての人の前にひらかれている。
 その人に、やる気があるかないかだけである。
 
 道は、すべての人の前にひらかれている。
 しかし、道がとざされていると思う人の前には道はとざされている。自分はだめだと思う人はだめになっていく。
 
 道は、すべての人の前にひらかれている。
 しかし、自分が生きていくべき人生は、自分で発見していくよりほかにはないのである。
 
 道は、すべての人の前にひらかれている。
 しかし、生きがいとしあわせとを、つかみあてるその鍵は、自分の心の姿勢のなかにだけしかない。
 
 道は、すべての人の前にひらかれている。
 しかし、個性のない人生は、真実の人生ではない。たとえすぐれた人のマネをしても、まねをすることでつかみあてられる「自分の人生」というものは、この世にはないのである。
 
 道は、すべての人の前にひらかれている。
 しかし、人生を暗く生きようとする人には、明るい人生も暗くしか生きられない。
 人生を明るく生きようとする人だけが、暗い人生さえも、明るく生きていくことができるのである。
 
 道は、すべての人の前にひらかれている。
 しかし、自分からあきらめてしまうことは、もはや生きることではない。その人の前では道もとざされる。
 
 道は、すべての人の前にひらかれている。
 しかし、人が一度やりとげられることが、自分には、一度でやりとげられないこともある。
 一度でやりとげられないことは、十度やってみよう。十度やってもやりとげられないことは、百度やってみよう。
 
 道は、すべての人の前にひらかれている。
 しかし、やりとげるまでは、けっしてやめないこと。そしてそのやりとげようとする心をけっして失わないこと。
 
 道は、すべての人の前にひらかれている。
 しかし、見栄や虚栄心、にくしみやうらみ、欲の深さや身勝手な自分本位、そうしたものに心をしばられていると、その心の束縛の不自由さによって、その人は、自分から自分の道をとざしてしまうことがある。
 
 道は、すべての人の前にひらかれている。
 しかし、求める心があるならば、恥をかくことはけっしておそれまい。軽薄な虚栄心などに心をしばられまい。また、人をにくむことから得られるものはなにもないことも、よく知っていよう。欲の深さは、かえって失うことが多いことも知っていよう。
 
 道は、すべての人の前にひらかれている。
 しかし、自分から自分の道をとざしてしまうような、そういう自分のなかのいっさいのものを、自分から捨て去っていくことが大切である。
 それを捨て去ってしまったとき、ほんとうの自分が生まれてくる。道がひらけてくる。
 
 道は、すべての人の前にひらかれている。
 しかし、すぐに、かんたんに、わかった気持ちになってしまうのは、危険である。
 一だけを考えて一がわかったと思うのは、ほんとうにわかったことではない。百考えてやっと一がわかったというのが、ほんとうのわかったということである。
 
 道は、すべての人の前にひらかれている。
 しかし、いつも、やわらかい頭をもって、早く判断できる人でありたい。一だけ考えて、けっしてあやまることなく、たちまち一の判断ができるのが、生活力とよんでもよいものである。ただ、そうした早い判断が、いつもあやまりでなくできるのは、その人が百を考えぬいてきた蓄積を、その心のなかにもっているからなのである。
 
 道は、すべての人の前にひらかれている。
 しかし、よいことをたしかによいとわかり、わるいことをたしかにわるいとわかることが大切である。しかもそれは、ほんとうは、それほどやさしいことではないのである。そのむずかしさことをよく知った人でありたい。
 
 道は、すべての人の前にひらかれている。 
 しかし、わるいことがたしかにわかるためには、よいことがたしかによいとわかる以上の、教養とセンスとが必要である。そのことも、よく知っていたい。
 
 道は、すべての人の前にひらかれている。
 しかし、たえず、知ろう、まなぼう、考えよう、とする意欲をもたなければ、人はその自分の人生の道を、あるきすすむ力を失うであろう。知り、まなび、考えていくことが、自分の人生の道をあるいていくことだからである。
 
 道は、すべての人の前にひらかれている。
 しかし、人によっては、自分にとってのいちばんやさしい道しか、あるこうとしない人もいる。だが人によっては、自分をそだてつづけていくために、いちばんむずかしい道のほうを、いっしょうけんめいにあゆみつづけている人もいる。
 
 道は、すべての人の前にひらかれている。
 しかし、そこで、権利意識ばかりをむやみにふりまわして、まったく停滞した空虚のなかだけに身をおいている人もいる。
 そうではあるがしかしまた、人間としての権利の意識をまったく自覚してない人は、とかく、大切な責任の意識にも欠けているばあいが少なくない。
 
 道は、すべての人の前にひらかれている。
 しかし、したいことだけして、しなければならないことは、なかなかやろうとしない人もいる。しなければならないことこそを、まず行う人になりたいものである。
 
 道は、すべての人の前にひらかれている。
 しかし、この人生はまたその別の一方では、人にその道を見失わせるほどの誘惑と失望とのくり返しにも、みちみちていることを忘れてはならない。道は平坦ではないのである。それだからこそ、人生という道のあじわいは深いのである。
 
 道は、すべての人の前のひらかれている。
 しかし、世間に自分というものをあやまりなくわかってもらおうなどという期待は、もたないほうがよい。そうした期待に生きたいのであったら、世間の因襲に全面的に屈服して生きるよりほかにはないのである。それは自分のない人間になることである。
 わかってもらえようともらえまいと、そんなことは問題にしないで、あくまでも、自分の真実にこそ生きつらぬいていこうとするとき、世間というものは、あんがい、思いがけなく、かえって自分を理解してくれるものなのである。」


抜粋



Posted by さくらさん at 17:58│Comments(0)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
自分の道…。
    コメント(0)